第50話 パーフェクトゲーム
戦場が躍動する。あちらこちらの火炎が生み出す上昇気流がうねって、熱気を孕んだ空気が火花と共に捻くれた。
完全武装にバフを積んだ高レベルの前衛組が十と数名、たった一人を相手に総攻撃を仕掛ける。さらにはその後方でガッチリと陣形を組んだ後衛組が目を凝らしながら狙撃の隙を狙い澄ましていた。
はたから見れば、弱いものいじめにさえ見える構図。まともなプレイヤーが相手ならば、批判されるべきはパーティ間で手を組んだ彼らだろう。
だが、今回ばかりは相手が違った。
「それじゃあ――やるか」
軍服に包まれた身体が躍動し、白髪が後ろに流れる。死界踏破の赤黒いエフェクトがその身体を包み、金色の瞳が線のような軌道を残す。
「魔導士が正面で来るかぁ?普通……」
「はっや!」
「『カウンタースタンス』!」
「ぶちのめして差し上げます!」
正面からの切り込み。大人数での混戦なら遠距離攻撃はプレイヤーを盾にすれば問題ない。危険視すべきは頭上からの攻撃と足元からの攻撃。
そして後衛から撒き散らされるバフとデバフ、回復によるダメージ計算の狂い。
脳裏に描く高速の演算と並行で、右半身を狙う虹の光線をステップで回避。空の『惑星』がガコン!と音を立てて回転し始め、ミツクモの頭上に『
一瞬遅くなったステップ、それに合わせて双刺剣を構えた女騎士――『アーレア』が一番槍で踏み込む。
「『瞬歩』ッ!『
スキルによる瞬間移動じみた高速ステップで一気にミツクモの右前に踏み込み、死角に潜り込むように身を沈み込ませながら両手のレイピアを突き出す。
舞い散る花弁のエフェクトの一つを貫いて、超高速の突きが……ミツクモの鼻先で止まった。
「ッ……!?」
ミツクモは瞬歩のモーションを見た瞬間に両足を一瞬浮かせて『無冠の曲芸』の認識加速を適応、その一瞬でおおよその距離感と射程を掴んで、前置きのバックステップを踏んでいた。
薄皮一枚分、ダメージ判定がギリギリで届かない。目を見開きつつもアーレアは即座に後ろ足に力を込めて一步踏み込んだ。依然として射程圏内には捉えている。肉薄すればあの大鎌は振れない。
後ろから何かしらの声が彼女に掛かるが、薄い膜を通したように聞き取れない。
「ダメだッ!!」
「ここからっ、『
「言えた義理じゃないが」
そう言って、ミツクモの『手』が突き出された双刺剣を掴む。
「えっ?」
「仲間のコールは、よく聞いておくといい」
鎌は?とそんな思考が過る。同時にアーレアの赤い瞳が『素手』のミツクモを見て、あの一瞬で武器をボックスに格納したのだと理解した。
だが、もう手遅れだ。慌てて剣を引き抜くモーションも不正解。
ミツクモの身体が動いて、液体のように滑らかな動作で貫手を放つ。ムチのようにしなった左手の五指がアーレアの細い首にめり込んで、「かはっ!?」と乾いた声が漏れた。
魔導士の近接攻撃など、ゲーム的なダメージはたかが知れている。だからこその、急所狙い。続けざまに崩れた身体の鳩尾に右拳の正拳突きがめり込み、間髪を入れずに両手がアーレアの首の後ろに回って、ムエタイでよく見られる首相撲の形になった。そのまま渾身の膝がアーレアに打ち込まれる――その手前に、ミツクモが身体を引いた。
「へいへいへーい! あんた、男女平等が過ぎんじゃね〜?そんなにやり合いたいなら俺とやろうぜ!」
割り込みで拳を叩き込んだのは、紅蓮の闘気を纏った『エイリアス』というプレイヤー。上裸に真っ赤な鉢巻を巻いたその様子は、どことなく見覚えのある格闘家のスタイルだ。
割り込みの拳をギリギリで躱したミツクモの髪が派手に流れる。拳圧だけで付近の煙と炎が散って、ミツクモが目を細めた。
一発でも食らったらあの世行き。下手にドッジを狙うと余波で死ぬ。分析と並行で邪魔なアーレアを『ストレート・エア』で弾き飛ばし、エイリアスと向かい合う。
「腕に自信があるって顔してんぜ〜!かかってきな!」
「そっくりそのまま返していいか?」
そう笑いつつ、ミツクモとエイリアスの視線が交錯する。一秒にも満たない視線のやり取りと、極々微細なモーションによる駆け引き。そして一瞬、ミツクモが前脚に体重を乗せた瞬間にエイリアスが踏み込んだ。
殴り、蹴り、体当たり、頭突きを織り交ぜた野性味溢れる獣じみた猛攻が繰り出され、凄まじい攻撃は余波だけでミツクモのHPを削り取る。素足の踏み込みは堅い広場の床に一発でクモの巣状のヒビを入れ、更には攻撃の度にその速度が上昇していた。
『闘気解放』とはまた別のユニークスキル、『
更には反撃をしようとする度に、四方八方から援護射撃と横槍が刺さり、ミツクモは後手に回りながら少しずつダメージを受けていく。
「おおっ!?マジか、まだ当たんねえの!?今の速度400近いんだけどなぁ〜!?」
もはや常人では動きの終わりを捉えることさえ困難な凄まじい連撃。だが……かの騎神の連撃には遠く及ばない。あの凶星の斬撃には届かない。
故に――
「ごっ!?がはっ!?」
「もうお前の癖は見切った」
エイリアスの拳が紙一重でミツクモの額を掠める。限界まで伸ばしたつま先が頬の産毛を撫でる。だがしかし、届かない。より速くなっているのに、その度にミツクモの像が遠ざかる。
ステップの癖、フェイントの癖、視線の置き方、好みの拳の軌道。全てが見えている。そして、必死にそれらを隠し、新しく置き換えようとする動きでさえ想定の範囲内だ。
振り抜いたエイリアスの拳がいとも容易くパリィされ、その喉元をスティレットが抉る。が、盛りに盛られたバフの影響で即死には至らず、即座に後衛からの回復が飛んだ。
状況で言えばゼロゲーム。仕切り直しの形だが……エイリアスの勝ち気な笑みはすでに引きつっていた。
「ま、マジ……?コイツとまだ戦えって?キツすぎんだけど……お遊びでスキルも魔法も縛ってんのに歯が立たね〜……」
「腕に自信があるんだろう? かかってこい」
「ははは……オッケー。マジお手柔らかに頼むわ」
完全に格付けされたエイリアスは萎えきった顔付きで拳を構える。なんとか彼を支援しようと『惑星』が重力を強め、空の果てから薄緑色の衛星砲がミツクモを狙った。
キュイ――……ン、と耳鳴りめいた怪奇な音と共に空から降り注いだ光の柱がミツクモの身体をすっぽり覆って、触れたものを全て『分解』していく。
少し離れた位置でトランシーバーによる要請で衛星砲を放ったプレイヤー――『ししおー』は内心で「やったか!?」と前のめりに身体を起こしたが、その背後から声が響く。
「さっきからアレを撃ってるのはお前か」
「はっ――うぉおッ!?」
冷淡で、感情を感じさせない冷めた声。ししおーは汗を背中に垂らしながら、輝くライトセーバーを振り返りざまに振り抜く。
ヴォン……と超圧縮されたマナによる刃が空を灼き、空振った。
「また後ろ……!」
「馬鹿ッ!!ししおーっ!正面だ!!」
「……はっ?」
ミツクモは何のスキルも切っていない。ただただ斬撃を避けて、そして姿勢を落とした。ヘビやヤモリがそうするように、顎先が地面に触れるほど低く這って、一気に身体を起こす。
下からの強烈な切り上げがししおーのHPを大幅に削って……しかし、他プレイヤーも見ているだけではない。即座にステップでミツクモを囲み、瀕死のししおーを『セーフウィーバー』で回収し、バフを掛け、切り上げの姿勢のミツクモに四方八方から武器を突き刺した。
剣、槍、斧、槌、鉈、拳、銃剣、パイルバンカーがそこに突っ込まれ――無機質な衝突音が響いた。どこへ、とそれぞれが思う暇さえなかった。ミツクモは『ダウンバースト』で地面に着地し、頭上で重なり合った武器の群れを見る。
そして、冷めた金色の瞳が、その場の全員の命を捉えた。
「あっ」
誰の零した声か。それは理解の声だった。目の前に居る敵がどれだけ次元の違う相手であるか、そしてこの戦場の頂点捕食者が誰なのかを決定づける声だ。
次の瞬間、ミツクモの手元が翻って――プレイヤー達の視界が黒く塗りつぶされた。一拍後、凄まじいダメージエフェクトとノックバックが発生し、ゴミクズのようにプレイヤーが吹き飛ばされる。
「嘘だろ……」
「ハハハ……何じゃありゃ」
「エイリアスさんとスキル・魔法無しで殴り合ってボコボコにする魔導士とか……えぇ?」
「チート……なんじゃね?」
「いや、絶対そうだろ。だって、ほら、その……ありえねえじゃん」
後衛陣が慌てて回復と援護を放ち、同時に援護射撃で足止めをするが、ミツクモの無双ぶりに意識を奪われ、効率が落ちている。
彼らの視線の先では、決死の覚悟で飛びついたエイリアスが軽くあしらわれ、悠々と浮いていた『惑星』は『勇気の証明』の斬撃で叩き壊され、超高速のパイルバンカーによる一撃が容易くパリィされていた。
その様子を見ていた後衛職の一人――『エルヴィス』が、震える声で呟く。
「『アガって』んのか? ここから……?」
「は? エルヴィス、お前何言って――」
「間違いない……アイツ、ここからどんどんギアがアガっていやがる」
かかり始めた暖房が冷めた空気を送るように、久々に乗った自転車の調子に違和感があるように、ミツクモの動きは戦闘開始から更に洗練されていた。
より疾く、よりしなやかに、より鮮やかに……恐ろしいことだが、今この状況でさえフルコンディションには程遠い。
「ちょ、無理ー! 人造TAS過ぎてガチで無理なんだけど〜!もう死ぬしかねぇー!」
「『
「『アーク・コヴェナント』ッ! クソ!マジで当たんねえ!
ホーミング付きのレーザー攻撃だぞ!?ノールックで避けんなよ!」
「『
「同時攻撃頼む!パリィがヤバすぎる!」
「そんなことしたら《四肢粉塵》で薙ぎ払われますわ!お互い背を預けあって――」
「ッ!?武器切り替わったッ!大鎌ッ!」
「じゃねぇ!また切り替わって……ま、また……切り替わっ……はぁっ!?」
「さて……お前達の手札はそれで全部か? 他に無いなら、全員死んでもらうぞ」
ミツクモは息一つ切らさず、ゆっくりと鎌を水平に構えて歩き出す。が、すぐにその手から鎌が消え、スティレットが握られ……さらに武器が切り替わり、大剣になる。
次も、また次も、槍、剣、素手、ナイフ、大鎌、大剣……まるでルーレットでもするかのように、その手の中の武器が切り替わり続ける。
手に持った武器の種類で行動を読んでいた彼らは、その動作にタジタジになって、一人また一人と後退りをする。ミツクモがいかに手札を温存して戦っていたか、それを見せつけられているプレイヤーの声を代弁して、エイリアスが口を開く。
「わーお、マジでー? まだまだ色々残ってんのね〜……手加減してくれてた感じ?」
「手加減……? ……あぁ」
ミツクモの前進が止まって、その視線が下を向く。何かを思い出すように、考え込むように金色の瞳に想いが巡った。しかし、それもたった数秒のことだ。再び目線を上げて、ミツクモは口を開く。
「……そんなつもりはないんだ。敢えて言うなら――悪い癖、だな」
戦いを楽しもうとすること。
戦いを楽しませようとすること。
戦いをより盛り上げようとすること。
三つが絡み合った、どうしようもない悪癖。それに苦しめられて、それを悔やんで、何度暗い部屋で自問自答を繰り返したか。
その言葉には数え切れないほどの思いが込められていた。幾つもの場面が背景にあった。けれども、それを理解できる人間は、少なくともこの場には居ない。
だからただ、隠された響きはミツクモの中だけで消化されて……鼻にかかった自嘲の笑みになる。
「はっ……どっちにしても、さよならの時間だ。後に面倒なのが残ってるんでね」
ミツクモは一瞬だけヴェルサスとアルフレッドの方を見て――また歩みを進める。その手の中に幾つもの武器が切り替わって、最後に大鎌が握られる。
「鎌っ!引き寄せとテレポ警戒!」
「こっちはモーションアリだ! 見てれば防げる」
「――そうだな。ちゃんと見てれば防げるかもな」
言葉に合わせて――黒い霧がそっと鎌から滲み出し、緩やかに地面を這った。途端に探知系のスキルを回していたプレイヤー達が目を剥き、大慌てで声を上げる。
「……!? あの霧、探知無効付きです!」
「『心眼』じゃもう何も見えん!」
「今でも動き追えないのにのに対象指定不可!? なんでもありじゃん!」
戦場に、霧が満ちていく。それは『霧の凶星』を持つ頂点捕食者の特権であり、かの収穫の為の下ごしらえの一つだった。
見かねたヴェルサスが霧の発生地点を中心に『メテオバースト』を重ねて焼き払う。……が。
「チッ……! 本当に魔導士か?暗殺者とかそこら辺がお似合いだろ……」
濃い黒霧の中から、凄まじい速度で影が躍り出る。背後で炸裂したメテオバーストの爆風で加速し、ストレートエアで更に勢いを乗せ、霧を垂らす大鎌を構えてプレイヤー達に肉薄する。
まばたきの一瞬すら許されない刹那の切り込み。残像を残すほどの速度でミツクモが鎌を振りかぶって……消えた。
「え、消え……た?」
「あぁっ!ホントに何も分からん!」
ミツクモの姿が忽然と消え、戦場の誰もが姿を見失う。鎌から垂れていた霧はすでに戦場の過半数を覆い、視野と感覚、その両方を覆い隠していた。
「たはは……この状況からあの近接スキルでボコられたら、ホラー映画も真っ青なんだけど」
「ゲームジャンルがちげえよ……!」
「ししおー、衛星砲で霧を払えるか!?」
「今やって――」
声を上げた一瞬、ししおーの姿が消えた。全員が先に続く言葉を待って振り返り、お互いに顔を見合わせあって、ししおーのパーティメンバー達が「あっ」と声を上げる。
「し、ししおーが……」
「死んでやがる……マジかよ」
「引っ張られた……?あの一瞬で?」
「マズイ!前衛組とか後衛組とか言ってる場合じゃない!全員身体を寄せないと一人一人持ってかれるぞ!」
エルヴィスが声を上げ、皆が頷いて一角に身を寄せ合う。遠方で龍が断末魔の咆哮を上げ、ヴェルサスが舌打ち交じりに魔法を連射しまくる音が聞こえる。
濃い黒霧は重く停滞し、数メートル先の視界さえ危ぶまれるほどだ。凶悪かつ理不尽……だからこそ、ミツクモはこの切り札を切りたがらなかった。純粋に配信としての絵にならない上、文字通りゲームのジャンルが変わってしまうからだ。
「なんか……音が」
「風……?ッ!?離れ――」
全員が背中を合わせて固まった場所へ、無慈悲な『星雲』が叩き込まれる。高火力×多段ヒット×確率即死の範囲攻撃が柔らかい後衛陣向けに叩き込まれ、幾人かが重傷を負った。慌てて治療のために身体を寄せた瞬間、霧の向こうから鎌が飛び出し、その喉元を鮮やかに刈り取る。
『即死!』の文字が宙に浮いて、遅まきに全員が悟った。
――あぁ、これは不味すぎる……!
一人、また一人、霧の中から飛び出した黒い影がその身を切り裂き、首を刈り取って、あるいは風で押し飛ばす。
「職業魔導士で全武器種が使える上、拳闘士ばりに殴りのフィジカルがあるのに、アサシンのムーブも出来るって……ハハハッ!こりゃ駄目だ〜!」
「エイリアス!笑ってる場合か!」
「いやー、これは無理ゲー。エルヴィスも胸裏切ってご自慢の大砲ぶっ放したら〜?なんかアイツなら見てから避けそうだけど」
文字通り何度か死ぬような目に遭いながら、最も近くでミツクモと闘ったエイリアスは、完全に『あと一発ぶち込めたらラッキー』といったマインドに切り替わっている。
エルヴィスは何とも言えない感情を飲み込み、先ほどまでリベンジを叫んでいた他パーティの戦士、アーレアを探した。
霧の中を警戒しながら歩き、近接職が固まった場所に身を寄せると――霧の向こうから凶悪な殺気がエルヴィスを射抜いた。
「マズ――ッ!?」
「――させませんわっ!『
霧と同化した大鎌がエルヴィスの命を刈り取る前に、背後から飛び込んだアーレアが刺剣を差し込む。『満開咲き』――強烈なノックバックを秘めた突きが炸裂し、大鎌があらぬ方向に弾ける。
「皆様っ!!集合!ミツクモを発見しましたわ!」
「……」
ミツクモは弾かれた鎌に引っ張られる形で後ろに大きく引くが、アーレアがそれを許さない。他の近接職を招集しながら、必死の追撃を始める。
他のプレイヤーも、ここが瀬戸際、最後のチャンスと分かっているのか、命をかなぐり捨ててミツクモに肉薄していく。
「よく目を凝らせっ!完全に姿が消えてるわけじゃない!」
「もう耳を澄ますな!『潜伏』と『隠密』がある以上、目視でなんとかするしかない!」
「白い髪と頭の王冠を目で追いなさいっ!見逃したら死ぬと思って目を凝らすのですわ!」
空を舞い、霧に隠れ、その上で目にも止まらぬ高速移動で立体に移動するミツクモを目で捉え続けるのは至難の業だ。だが、それができなければ死ぬ他に無い。何人かは自前で探知系ではないスキルでミツクモを捉えており、逐一声を張って位置を共有する。だが――
「地面から三メートル離れた上の方、十二時の方向の、いや、八時、四、あっ、二時……えっと」
「ちょ、シルエラさん!? さ、流石にそれだとわっかんねえっす!」
「いや、あたしだってそんなの分かってる!でも、ほ、ホントにそんなふうに移動してるの!」
「……覚悟を決めて、行くしか無いか」
「ジャックス?ちょ、待ってくれよ?お前が俺らのパーティの最高火力なんだぞ?」
「どっちにしても、ここで突っ込まなかったらジリ貧で死ぬだけだ。なら……胸を借りるつもりで――追い縋ってやる!『
片腕に巨大なパイルバンカーを担いだ重戦士が、咆哮と共に駆け出す。その歩みは弾丸のようで、霧の中を駆け抜けるミツクモに言葉通り追い縋らんとしていた。
赤黒い流星が二つ、連星めいて黒霧を駆け抜け――その内一つが撃ち落とされる。ドゴン、と鈍い音が鳴って、パーティメンバーの二人が崩れ落ちた。
「あっ……あぁっ!」
「ウッソだろ……ジャックスでも駄目なのかよ」
絶望の声が響く中でも、ミツクモの脅威は止まらない。霧の中からありったけの風魔法が、『星雲』が、バックステップが飛び出し、それらは無慈悲にプレイヤーを刈り取っていく。
一人また一人と、選別するように、収穫するように、まともに打ち合いすらさせてもらえず切り裂かれる。
奇跡的にミツクモを捉え、その奇襲を防いだとて、続く二合目三合目の読み合い、差し合いに勝てず、即死音を響かせるだけだ。
近接職が必死に刃を振るおうが、冷静でない太刀筋ではミツクモを捉えられない。やたらめったらに放たれた魔法が奇跡的にヒットしても、シールドを削って終わるだけだ。
「本当に……怪物のような御方ですわね」
「なんなんだ、あの機動……頭を地面に向けながら空走って、魔法撃ちながらテレポート繰り返して……訳が分からん」
「……高機動やテレポートは凶悪ですけれど、正直言ってあの『眼』と反応速度のほうが余程反則めいていますわ」
エルヴィスとアーレアは互いに背中を合わせながら、空を駆け巡るミツクモの姿を目で追う。
ミツクモはストレートエア、ストームウォール、ノックアップエアの三種の魔法をキャストして高度を維持しながら、『隼の流儀』のスタックを管理し、敵の位置把握と攻撃回避を両立しながら、魔法による攻撃と『星雲』による遠距離攻撃をし、それらに『収穫』によるテレポートを織り交ぜながら機械的に継続している。
その動きはまさしく人の身に許された限度を優に超す、人外の代物だった。
バチン、バチン、と鉄線をハサミで断つような『首刈り』の音が断続的に響き、時折断末魔と鉄の擦れる音が聞こえる。
時間にして、四分。その時間をもってして……霧の中にエルヴィスとアーレアだけが取り残される。エルヴィスは両腕で抱えた大砲の砲身を霧の中に向け、じっと動かない。アーレアは胸から溢れる火炎が尽きていないことを確認し、霧の中に目を凝らす。
永遠にも思える一瞬が流れ――アーレアの鼓膜が『ヴゥ゙ン』と羽音めいた空気の振動を捉えた。瞬間、背後のエルヴィスが消える。しかしアーレアは一切動じず、全神経を集中し……双刺剣を『真上に』突き刺す。
「――おっと」
「ッ!捉え、ましたわ……ッ!」
ギャィ――ン、と耳障りな音が響く。クロス状に交差した双刺剣が、ミツクモの大鎌の刃を受け止めていた。直後に遅れた斬撃がアーレアの武器を切り裂き、耐久値を大幅に削り取る。
だが、止めた。全ての感覚と経験、そして戦士としての純粋なレベルとステータスが、ミツクモの奇襲を紙一重で防いだのだ。
アーレアは歯を剥いて笑みを浮かべ、頭上のミツクモを睨み――その表情が凍る。脳裏に駆け巡る困惑と、最高速の演算。視覚から入った情報が何度も何度も脳のシナプスを渡っては、演算系がその情報を否定する。
いや、何故、そんな、と言葉が過ぎり、「は、ぁ……?」とため息にも似た声が溢れた。
「なん、で……目を……」
「ちょっと特殊な装備を着ててな、こうしないと回復出来ないんだ」
ギャリギャリと鎌を押し込もうとするミツクモは――その瞳を閉じていた。確かに、先ほどまでエイリアスが半分近く削ったHPはフルヘルスに戻っている。それが装備の効果であるというのなら、大して驚きもしない。
だが……目を、閉じることが条件? 違う、そうじゃない。つまり、さっきまで……
「ありえ、ない……」
「……そうだよな。俺も、そう思うよ」
ミツクモは困ったように笑って、瞳を開く。ハチミツめいた金色の瞳には、顔面蒼白のアーレアが映っていた。
ミツクモは霧を展開してからずっと、瞳を閉じていた。それは回復のためであり、目立つ金色の瞳を隠すためであり、視線をトリガーとしたスキルへの対策でもある。
なんにしても、ミツクモにとって瞳を閉じるというのはメリットしかない行動だった。なら、それをしない道理は無い。
……とはいえ、流石のミツクモもアーレアの表情を見れば、それがどれだけ異常なことなのかは理解できる。
アーレアは何度も何度も『冗談だ』『嘘だ』と、そういった言葉がミツクモの口から零れ出るのを待った。けれども、その表情がどこか申し訳無さそうに曇るのを見て……手足から力が抜ける。
――ああ、こんなバケモノに……勝てる訳ない。
プレイヤーとして、人間として、あるいは生物として、基盤が違い過ぎる。
腑抜けた手足では大鎌を止められず、ミツクモの刃がアーレアを千々に引き裂いて……彼女の心臓に宿った炉心が駆動する。
それはとあるユニークモンスターから得た固有のスキル『
だが……再起を願う彼女の意志の欠如によって、炉心は静かに機能を停止し、炎が途絶える。
アーレアの身体が紅蓮のポリゴンとなって、熾火のように消えていくのを、ミツクモは静かに見つめていた。
だが、その背中にカチャリと『砲身』が向けられる。
「間に合わなかったか……だが……!」
「……」
「無駄な足掻きとはいえ、仇討ちをしないと気が晴れない性分なんだ……ッ!」
エルヴィス。最後に一人残った最前線のプレイヤー。鷹のように鋭い灰色の瞳がミツクモを睨み、火薬まみれの指先が、導火線に火をつける。相手は魔導士、当たれば一撃であの世行きは間違いない。そして距離は近すぎず、遠すぎない完璧な位置。
ミツクモは両手を下ろし、茫然とエルヴィスを見ている。その様子では、もう鎌を振ろうが間に合わない。またあの身体捌きで躱すつもりか?それとも魔法によるブリンク?あるいは、まだ隠し玉がある?
――何にせよ、絶対に反応してみせる。右でも左でも上でも下でも、絶対に当てる……!
導火線に火が付き、火薬に引火するまでのコンマ数秒。その瞬間さえミツクモは微動だにせず、エルヴィスの瞳をじっと見つめて――右足にぐっと力を込めた。そのモーションを見た瞬間、エルヴィスは全神経と筋肉を動員して、砲身を右に動かす。
「……ッ!おぉぉッ!!『壟断崩し』ッ!!」
轟音、衝撃。城壁さえ容易く砕き、純種でなければ竜の頭蓋でさえ破壊できる破砕の一射。それは目にも留まらぬ速さで……ミツクモのすぐ横を通過し、背後の建物をド派手に砕いた後、凄まじい大爆発を起こした。
「……は?」
外した?何故?エルヴィスの思考が固まって、ゆっくりと溶けていく。目の前に立つミツクモ。その佇まいはまるで変わっていない。その場から一步も動いていない。
ミツクモはただ、右脚に少し力を込めただけだ。
「……騙され……いや、俺が……駆け引きに負けたのか?」
「……お前みたいなプレイヤーを、俺は何人も見てきた」
ミツクモの現役時代に、何度となく見たプレイヤーの顔付き。真正面からの一対一。完璧に先手は取った。当てれば勝ち。当たれば、good knightに勝てるかもしれない。そんな、勝利への緊張と集中で神経を限りなく尖らせ、小さな情報に過反応を起こすプレイヤーを、ミツクモは見てきていた。
故にこそ、それは読み合いですら無く、駆け引きですら無く、ただただ土壇場での度胸を試し、それにエルヴィスが負けたというだけのこと。
「次は、肩の力を抜いていくといい」
「ッ……!俺は――」
それだけを告げて、ミツクモの身体が消えた。同時に辺りを包みこんでいた黒霧も嘘のように晴れて――エルヴィスのHPが10割消し飛ぶ。感情が掻き乱されていたからだろうか、エルヴィスは単純なバックステップに反応すら出来ず死んでいった。
その死をもってして、三十人余りのプレイヤーが全滅し、三十対一の理不尽な勝負の勝者が決まる。圧倒的な数の不利、レベルの不利を背負い……その上で彼らを蹂躙し、フルヘルスで戦場に残ったのはミツクモただ一人だ。
霧の晴れた植物園は相変わらず混沌と崩壊に満ちており、その有り様はミツクモが来る依然よりも遥かに悪化している。かろうじて残っていた骨組みはめちゃくちゃに破壊され、周囲の建物は軒並み倒壊し、ただでさえぐちゃぐちゃだった足場はひび割れと沈降で悪路の極みになっている。
ちょっとばかし派手にやりすぎたか、と浅い余韻に浸るミツクモの背に、「よぉ」と気だるげな声が掛かった。
「ミツクモ……散々っぱら、オレのことを無視してくれやがったな」
「コイツらを残した上でお前を相手するのは死ぬ程に面倒だったからな。横槍に横槍が入って戦いどころじゃなくなる」
「ハッ!そうなりゃオレが邪魔するヤツごと焼き潰してたぜ……んで、テメェ、さっきの邪魔くせえ霧はどうした。燃料切れか?」
「アレはもういい。思ったより絵面が酷かったからな。場合を見極めて使わないと、碌でもないことになる」
「……よく分からねえが、美学に反するってんなら気にしねえでおくか」
ヴェルサスは鼻を鳴らし、続いて目を細める。握り締めた大杖は酷使の影響か、火の粉が燃え移って燻り始めている。ヴェルサスはミツクモの目線から大杖を目を移すと……雑に杖を放り捨てた。ゴトッ、と鈍い音が鳴って、杖に地面の火が引火する。
「……いいのか?」
「あん? あぁ……コレか?コイツはそこらへんの聖樹から勝手に切り出してきた棒切れだ。別に無かろうが大して変わらねえ。それに――」
オレが本気出した時点で、どんな杖も灰になるからな。ヴェルサスは傲慢に笑って、ポキポキと指を鳴らし、肩を回す。先程のプレイヤー達――エイリアスやアーレアはミツクモの動きを見て心を折られていたが、どうやらヴェルサスは真逆らしい。
燃料に触れて猛々しく燃え上がる炎のように、爛々と青い瞳をギラつかせている。
「さぁて……大層な大立ち回りだったな魔王サマ。お望み通り……お前を倒す賢者の登場だぜ」
「随分キャラ立ちした賢者だな……」
「知るかよ。テメェが言い始めたおままごとだ。乗ってやるだけありがたいと思いな」
ヴェルサスがゴキリと首を鳴らし、ふー、と息を吐く。その息には火花めいたものが混ざっており、よく見れば真っ赤な長髪の毛先も少しばかり火花を散らしている。
……これは、中々に面白い相手になりそうだ。ミツクモは小さく笑って、『霧の凶星』を構えた。
元『全一』のプロゲーマーはVRMMOに挑戦するようです。 棚月 朔 @tanatuki
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