第十七話 生誕

 ナインの旅準備は簡素である。


 汚れても破れても構わない安物の布の服。


 腰には血の入った革袋。


 背中には幾許かの食糧と飲料水を入れるためのリュック。


 それだけ。


 そして、また、ファリスへの旅程もシンプルだった。


 街道を無視して、山だろうが川だろうが森だろうがとにかく最短ルートを突っ切る。


 以上。


「やっぱり、こうなるんですね……」


 アイシアが悟り切った無表情で呟く。


 切り立った断崖を登るナインの横を、浮遊魔法でついてくる。


「だって、街道は遠回りだろ」


「でも、安全だし、体力を温存できますよ。商隊の護衛の依頼を受ければ、成績にもつながりますし、野盗を捕まえれば、魔物よりも高得点です」


「でも、街道だと遅いじゃん。なるべく早く現地に入って、対戦相手の情報を収集したい。それに、野盗を狩っても査定までに間に合うか分からないしな。その点魔物は素材で証明できるから楽だ」


 盗賊は有名な指名手配犯でもない限り、身元の調査や脅威度の査定に時間がかかるので、下手すると今回の成績に反映されない。


 それよりもぶち当たった魔物を片っ端から狩っていった方が確実だ。


 やがて、絶壁を登り切り、猫の額ほどの足場しかない頂上に腰をかけた。


 崖の途中で採取した、舌切り燕の卵を直飲みする。


 ちょっと塩気があって濃くて美味い。


 そうして行軍に必要なカロリーを摂取しつつ、高くなった視点で四方を見渡す。


 小川がたくさんあるルートか、一発大河を渡るルートか。


「……ナインくんの故郷はどちらの方角ですか?」


 沈黙に耐えかねたようにアイシアが口を開く。


「故郷? 産まれた所という意味なら分からん。物心ついたのは北の――スノーリカオンの腹の中だ」


「えっと、神話に出てくる英雄のように、狼に育てられた、とかですか?」


「ははは、そんな訳ないじゃん! 先生おもしろいこと言うな。魔物か人が、スノーリカオンを殺して腹を裂いて、内臓を喰った直後だったんだろうな。まだ体温が残ってた。寒くてさ。そこに入ってた」


 ナインは卵液でべとつく手を岩肌に擦り付けて言う。


「……ごめんなさい」


「なんで謝るんだよ。先生は? やっぱり、城か、教会で生まれたのか?」


「公式には教会ですね。私の生まれる前に、大司祭と父母には天使からお告げがあり、異民族の賢者は星の吉兆を見て捧げものを贈りに馳せ参じ、あらゆる神と神官と民に祝福されてこの世に生を受けた――ということになってます」


「公式にはってことは、本当は違うのか」


 ナインは休憩を終え、崖を駆け下りる。


 大河を泳ぎ渡ると決めた。


「ええ。実は母は私を産む直前まで、妊娠に気が付いていませんでした。腹の中の私が無意識的に回復魔法を常時発動していたため、母にはつわりもなく、『最近ちょっと食べすぎたかしら』くらいの感覚でいたそうです。それで、トイレに行った時に――ボトンと」


 アイシアは崖を飛び降りた。


 自由落下の速度を風魔法でコントロールしつつ、ナインについてくる。


「ははは! 便所生まれかよ! 俺と大差ないくらい汚いな! じゃあ、あれも嘘なのか? 聖女が産まれた日には空に虹がかかり、冬なのに春の花が咲き乱れ、鳥とか聖獣が周りに集まってきたってやつ」


「それは本当です。といっても、これは何も奇跡などではなく、高位の魔法使いが産まれる際には割とよく見られる現象です。強力な魔力の重心が突如世界に投げ込まれることで魔法の秩序が乱れ、局地的に異常気象を引き起こしたのでしょう。私の場合は、それが複数重なっただけです」


「すごいな! おとぎ話みたいだ」


 ナインは崖を跳び、草原に身体ごと着地する。


 もしシックスが今の話を聞いたなら、さぞ喜んでいただろう。裏話も含め、あいつ好みの筋立てだ。


 あいつは娼婦が嫌いだが、聖女やシスターは好きだった。


 ナインが「教会には娼館まがいの所もあるのに、シスターと娼婦をどう区別するのか」と尋ねた時は、ガチで殺し合いになった。


「そんないいものでもありませんよ。一部の農作物がダメになりましたし、やってきたユニコーンはなぜか処女と童貞しかいないはずの神官たちに怒り狂って憤死しましたし」


「それはヤバイな。確か、聖女ってユニコーンの乳しか飲まないんだろ?」


 所々枯草混じりの草原を駆け抜ける。


 そこかしこで跳びはねるイナゴを捕まえて、おやつ代わりに口に放り込む。


「本来はそうなんですよね。代わりに焦った両親と教会が各地から珍しい魔力の滋養食を必死に取り寄せて、与えてくれました。おかげで聖女と呼ばれるにしては、光魔法の伸びがいまいちなんですが、色んな属性の魔法を使えるようになりました。結果論ですが、色んな属性の生徒を教える教師としては悪くない成長をしたと思ってます。器用貧乏ですけどね」


 アイシアは風と火の魔法を混合した渦を身に纏い、たかってくる羽虫や毒虫の類を焼き払いながら進む。その周りには水と土を混合した薄い膜があり、延焼しないように配慮されていた。


 今日のアイシアはやけに饒舌だった。


 何となく、新米の兵士が一度死にかけて、恐怖を誤魔化しながら再び戦場に出る時の雰囲気と似たようなものを感じる。


「滋養食か……。美味いのか?」


「いいえ。良薬口に苦しとの言葉通り、あまり美味しいものではありません。スムージーにして無理矢理流し込む感じです。でも、そうですね。時々あの味が懐かしくなります。食べたいと思っても、自力で同じ材料を揃えるのは難しいですから」


 アイシアは落ちかかる夕陽を一瞥して言った。


「そっか。なら、食えばいいじゃん」


「はい?」


「これから行くファリスは先生の故郷なんだろ? そこで親に作ってもらえばいい」


 大河を前に、頑丈な草をきつく編み上げて即席の水蜘蛛を作る。


 接地面を増やし、通常、不安定な湖沼地帯を歩きやすくするために使われる道具だ。


「……それは無理です。私が両親と会うことはもうありません」


「えっ、なんで? あ、処刑されたのか? そりゃそうか。敗軍の頭が殺されてない方がおかしい」


 革袋の血を一口分飲み、河へと一歩踏み出す。


 そして、足に意識を集中し、沈むよりも早く交互に動かした。


「いや、二人共元気に生きてますよ。王制は廃止されましたが、王族は形式上存続していますから。もしナインくんが闘技大会で優勝したら、父と母から賞状と副賞を受け取ることになるかと思います。もっとも、二人とももはやただの象徴ですので、実質的には何の権力もないですけどね。私は正式に王族を離脱しましたからただの一般人で拝謁権もありませんし、もし何らかの会える機会があっても、無用な誤解を招きたくないので会いません」


 アイシアがローブの裾を押さえながら、真横を飛行する。


「ふーん。にしても、随分ぬるいな。俺なら絶対頭目だけは殺すけどな」


 ナインの戦場では昨日の敵が味方になることはよくあったが、リーダー級の人間が複数いると統制が維持できないので、少なくとも頭とその腹心くらいは殺していた。


「処刑案もありましたが、旧王国領の民心の動揺を抑え、いざという時に怒りの矛先が向かうスケープゴートを残しておいた方がいいということで生かされました。両親は主戦派でなかったこともあるのでしょう」


「へえ。お得意の曖昧ってやつか?」


 ナインは戦争には興味があるが、政治はどうでもいい。


 川面から飛び出してきた鰐型の魔物の首を手刀で落とす。


 今日の晩飯に良さそうだ。


「幻滅しましたか?」


「何が?」


 やがて、河を渡り切る。


「多くの子供から父と母を奪い、時には子供すら戦場に送った立場にあったのに、私たち家族は誰一人欠けることなく生きているという事実に、です」


 厳しい口調で続ける。


「何を言いたいのかよくわからん。誰だろうが、生きられる限り生きようとするのは当たり前だろ」


 ナインは魔物を皮を剥ぎ、中身を流水に晒しながら答える。


 答えの分かり切っている質問に辟易する。


 場つなぎの会話とはいえ、いくらなんでもアイシアは生徒を子供扱いしすぎだろう。


「……」


 アイシアは曖昧な浮かべ、それきり無言になる。


 やはりナインの嫌いな笑みだった。


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