第32話 ついに開かれた神域の門。

 異なる一対の扉が示し合された時、まさに神域への入口が開かれるであろう。暫く烏兎うと大和やまとのやり取りに、白狐びゃっこ黒狐こっこは口を挟まず聞き入っていた。それはまるで、事の成り行きを見守るかのように……。すると――、突然にも湖面に佇む大鳥居から、一陣の風が拝殿前に向けて吹き抜ける。そんな最中の出来事だった……どこからともなく、風鈴の鳴り響く音が聞こえてくる。


 チリ――ン…………。チリ――ン…………。


 その怪しげな響きは、烏兎うとをいざなう導きの音色にも思えた。こうして周辺一帯は、時が止まったかのような空気が張り詰める。――と同時に、先ほど二人が話していた神気の言魂ことだま。童謡の歌も一緒に聞こえてきた。しかし、周辺には人影など見当たらず、白狐びゃっこ黒狐こっこは不思議そうに辺りを見渡した……。


「ごん。姉さま……この奇妙な声は、どこから聞こえてくるのだ?」

「こん。多分、湖畔の方からじゃないかしら?」


「ごん。でも、大鳥居の方には誰もいないぞ」

「こん。そうよねぇ……妖鬼ようきの気配はないから、あやかしの仕業ではないようだけど。大和やまとさま、これは一体何なのでしょうか?」


「うーん、儂にも分からんのう。長年この場所を守ってきたが、こんな不思議な現象は初めてじゃ」


 鈴の音と童謡の旋律が奏でられる中、辺りは不気味なほど静寂に包まれる。だが、烏兎うとの脳裏には、ある一定のリズムとイメージが流れてきた。それは、あたかも呼応しているかのように、連動して胸の鼓動が脈打ち早くなる……。


「ぐっ――、胸が……胸が熱い。だけど、何だろう……この懐かしい気持ちは……」


「ごん。烏兎うと、どうした? お腹でも痛いのか?」

「こん。そうじゃないわ、黒狐こっこ。お腹じゃなくて、多分……心の中じゃないかしら」


「ごん。心の中……?」

「こん。そうよ、黒狐こっこ。もし魂にでも影響していたら、大変なことだわ」


 走馬灯のように、脳裏を過る懐かしい情景。この不思議な感覚に、烏兎うとは妙な既視感を覚えた。それは、幼い頃に2人で楽しんだ『通りゃんせ』という童謡の遊び。駆け抜けるイメージは、鮮明ではあるも記憶にはない。加えて、相手の顔だけがぼんやりと欠落した姿であった……。


「このイメージって、なに? というよりも……あの女の子は、一体誰なの?」


「こん。――大和やまとさま、やはり烏兎うとには、まだ早かったのでは? このままだと、魂に危険が……」

「案ずるな、月華げっかよ。そう心配せんでも、今のところは問題ないじゃろう」


「こん。それは、どういう意味でしょうか?」

「これは儂の推測じゃがな。おそらく……この現象は、魂同士が何らかの形で触れ合い発生したもの。心が落ち着けば、すぐにでも共鳴は解かれるじゃろう」


 白狐びゃっこ黒狐こっこの心配を余所に、大和やまとは冷静に語り続ける。そして言葉通り、湖畔から聞こえてきた風鈴の音は徐々に小さくなっていった……。


「こん。それなら良かった……」


「とにかく、儂の判断だけでは、これ以上のことは何も言えん。とりあえず、原因が分かるまでは、烏兎うとくんを見守ることにしよう」

「こん。そうですね、大和やまとさま」


「あの……さっきから気になってたんですけど。魂の触れ合い、とか? 心の共鳴、とか? あと、僕のことを見守るって、どういう状況なんですか?」

烏兎うとくん、教示してやるといって申し訳ない。それについては、また今度じゃ。今日はもう遅いからのう、この話の続きは明日にしようでは――」


 大和やまと烏兎うとに語りかけようとしていた時、不意に風鈴の音が途切れる。すると、周囲を漂っていた奇妙な現象も急に消え失せた。その刹那――、突然にも突風が吹き荒び、辺り一帯が光に包まれる。輝きは神々しくもありながら、どこか不気味で周囲の視界を奪う。


「ごん。なっ、なんだ……この光は?」

「こん。これは、まさか……」


「ああ、月華げっか。そのまさかじゃ。どういうわけか、神域の門が開こうとしておる」

「門が開く? でも、大和やまとさん。さっきは『神域の門を解放させるには、2つの力を融合させた神気が必要』って言ってませんでしたか?」


 予期せぬ出来事に、大和やまとは不可思議な現象を見守った。辺りは次第に深い霧に包まれ、一筋の光が拝殿前の鳥居に集められた。そして次の瞬間――、球体状の眩いばかりの光は、湖面の大鳥居めがけて突き抜ける――。


「――えっ⁉ 湖が、湖が……割れて…………」


 状況を呑み込めず、啞然とする一同。中でも烏兎うとは、体を震わせながら大きな声を上げた。といっても、驚き奇声を発したのは、光の球が原因ではないように思える。なぜなら、目を向けた方向には、想像を絶する光景があったからだ。


 ――それは、湖畔近くの大鳥居から対岸まで切り裂かれた道筋。その様子は、映画で海を割る有名なシーン。そう……まるで『モーセの十戒』のようであった。加えて、信じがたい状況がもう1つ。なんと、鳥居を支える両石柱の間から、光り輝く金色こんじきの門が姿を現した。


「大鳥居の中から……扉が? これが、大和やまとさんの言っていた……神域の門」


 ギギギィ――ィ…………。ギギギィ――ィ…………。


 ゆっくりと解放されていく神々しい扉。突如として現れた神域の門は、重々しくも鈍い音を発しながら徐々に開き始めた。それはさながら、何かの存在を導き誘うような光景。この様子を目にした烏兎うとは、脳裏に浮かぶ言葉を無意識に呟いた……。


 〝隠れし異界の門が、今ここに開かれり。我の言霊よ、この身を以て、解き放たれん〟


「ご、ごん? 今、声が2つ聞こえたような? 聞き間違いか?」

「こん。いいえ、聞き間違いじゃないわよ。最後の言葉……明らかに、烏兎うとの声じゃなかったわ。というよりも、女性の声に思えたけど。あれって、もしかして……」


 重なり合う2種類の言葉と二つの声。白狐びゃっこ黒狐こっこは、状況が理解できず言葉を失う。――そんな中、烏兎うとはぼんやりとしながら、引き寄せられるように扉へ向かう。その姿はまるで、夢遊病に似た意識なき行動。


「――マズイ! 紅鏡あの世界は今、戦火の真っ只中じゃ。烏兎うとくん、神域の門を通り抜けてはならん!」


 大和やまとは異変に気づき烏兎うとを呼び止めるも、神域の門に妨害され身動きが取れずにいた。同様に、白狐びゃっこ黒狐こっこも体が硬直してピクリともしない。それは、通りゃんせの歌にあるように、『御用のないもの通しゃせぬ』ということなのであろう。


「――くっ、やはり儂では、引き止めるだけの力は…………いや、待てよ?」


「ごん。爺、何をしておる。早く烏兎うとを助けるのだ!」

「こん。大和やまとさま、烏兎うとが神域の門を抜けてしまいます」


「まてまて、二人共。慌てなくとも大丈夫じゃ。神域の門が解放されたのは、紅鏡こうきょうの世界が烏兎うとくんを導いたということ。つまり全ては神の思し召し、運命に従えという意味じゃ。であるならば、信頼して任せてみようではないか。のう……烏兎うとくん。――いや、神功 金烏じんぐう きんう。そして、天満 玉兎あまみつ ぎょくと…………儂の可愛い孫達よ、あとは頼んだぞ」


 遠ざかっていく烏兎うとの後ろ姿を大和やまとは見送るように呟く。こうして、神域の門は二つの魂を呑み込み、ゆっくりと閉じていった…………。

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