第2章
第10話 都市貴族クレイヴ家(前編)
◆◇◆◇◆ クレイヴ伯爵家 ◆◇◆◇◆
ヴァルガルド大陸には、3つの商業都市が存在する。
その1つであるセリンドールは、大陸の中央に位置し、また大陸一の大河ワーロー沿いにあるため、地上・海上問わず交通の要所として栄えてきた。そのセリンドールを古くから治める伯爵家こそクレイヴ家である。
領地こそセリンドールの都市内にしかない都市貴族だが、大陸全土に物流拠点を持ち、その流通網は大陸一と呼ばれている。事実、クレイヴ家は大陸の物流の7割を担い、その力は『征服王』と呼ばれたヴァルガルド帝国皇帝ですら、手を出せないと言われてきた。
そのクレイヴ伯爵家の紋章を掲げた馬車が、一路北を目指し進んでいた。
乗客は2人。1人はクレイヴ伯爵家当主アルフォンス・ド・クレイヴである。
落ち着かない様子で、白髪交じりの茶色の髪を何度も撫でつけていた。時折、足が自然と小刻みに揺らすのは、伯爵閣下らしからぬ悪癖だ。
そんな当主の癖を横に座った見目麗しい少女が指摘する
大人をからかうように笑うと、当主の膝に小さな手を置いた。
「お父様、いい加減落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか、我が娘エリザよ。我々はエストリアに向かっているのだぞ。あの最凶にして最悪の獣人傭兵団の頭目が作った国だ。むしろお前はどうしてそうやって落ち着いていられる」
エストリア王国の森が近づくほど、その顔は青ざめていく。
対照的にエリザは好奇心いっぱいに目を光らせ、車窓からの景色を楽しんでいた。
「貴族として礼を尽くすためです。エストリアの魔草がなければ、お母様は今頃どうなっていたか」
「お前は知らんのだ。あのケダモノたちの恐ろしさを……」
「あ! あれは獣人の方ではなくて」
「ひっ!」
「嘘ですよ、お父様。しっかりしてください」
これが大陸の流通網を牛耳る父の姿か……。
そんな哀れみも込めながら、エリザはため息を吐くのだった。
◆◇◆◇◆
「ルヴィン様、朝ですだよ」
ふと郷愁を感じる声に目が覚めた。
ゆっくりと瞼を持ち上げる。最初に見えたのは大きな丸眼鏡。
さらに優しげなメイドの笑顔だった。
眼鏡とともに、トレードマークの三つ編みも揺れている。
その顔を見た途端、悪夢から覚めたような気分になった。
「フィオナ、おはよう」
「おはようございますだ、ルヴィン様」
「夢じゃないんだね。君がここにいるのは……」
もう一生会えないと思っていた。
そんな懐かしい側付きがまた僕の名前を呼んで起こしてくれる。
僕にとって、これ以上の贅沢はなかった。
フィオナはクスリと笑う。
部屋を横切り、厚手のカーテンの前に立った。
「ルヴィン様、寝ぼけておられますね。もう春ですよ」
カーテンと窓を一気に開け放つ。
部屋に飛び込んできたのは、強い朝日と、暖かな春の風だった。
「おらがエストリア王国に来てから、もう5カ月経つだよ」
そう。厳しい冬の季節を終え、エストリア王国に穏やかな春の季節がやってきた。
僕がセオルド皇帝陛下に申し上げた食糧問題解決策は、エストリア王国の獣人たちが協力し、実行された。まず獣人たちに魔草と野草の区別の仕方を教え、森に生えている魔草をとにかく摘み取ってもらった。
摘み取った魔草を陛下が懇意にしている商人に売り、豚を買ったというわけだ。秋の間、森のドングリを食べて肥え太った豚は、冬の間の貴重な食糧として、エストリアの台所事情を支えることとなった。
結果、エストリア王国は餓死者を出すこともなく、春を迎えたのだ。
僕も女王の料理番として励み、もうすっかり王宮の生活に馴染んでいた。
「仕方ないよ。この半年、色んなことがうまくいって……。今でも夢なんじゃないかって思うんだ。フィオアがここにいることも含めてね」
「ルヴィン様っだら……。――――ところで」
それまでニコニコしていたフィオナの表情が一変する。
突然僕の布団を掴むと、勢いよく引き剥がす。現れたのは、銀毛の獣人だった。
アリアだ。いつの間に僕のベッドの中に入り込んだんだろう。
僕が首を傾げる横で、フィオナは眼鏡を光らせ、厳しい視線を送る。
心なしか、背後で炎が見えるんだけど、気のせいかな。
「何をしてるだ、女王様。寝室はここじゃないだよ?」
「べ、別にいいじゃないか。ちょっと寒かったから、ルヴィンくんのお布団に入ったら暖かいだろうなって」
「ルヴィン様は湯たんぽじゃないだよ」
「でも、ルヴィンくんは寝ている時に、ボクの尻尾を抱きしめて、スリスリしてたよ。とっても幸せそうだった」
アリアの弁解は弁解になっていなかった。
フィオナはさらに怒りの炎を燃やす。
天井まで届く炎の柱を燃やしながら、フィオナはアリアを睨み付けた。
「いいだか、女王様。貴族の子どもは成人するまで、男女と同衾せずという言葉があるだよ。ルヴィン様は今年でやっと7歳になるだ。その前に変な噂が立ったら、嫁さ来なくなるだ」
「ここはエストリアだよ。獣人の子どもは兄弟と一緒の部屋で川の字で寝るのが当たり前なんだ。その慣習はエストリアでは当てはまらないね」
ああ言えば、こういう……。
アリアとフィオナの喧嘩は、今に始まったばかりじゃない。
2人のいがみ合いは、すっかり王宮の風物詩になっていた。
「どうやらあんだには力ずくでわがらせる必要があるようだね」
「腕っ節でボクに勝てると思ってんの? 勇気だけは褒めてあげるよ」
フィオナはどこからか魔法銃を取り出せば、アリアもファイティングポーズを取って迎え討つ。まるで猟銃を持ったハンターと、猛獣が向かい合ってるみたいだ。
「ルヴィン様、今日は銀狼鍋にいたしましょう」
「口の減らない家臣には、女王としてしつけしてあげなきゃね」
完全に2人は戦闘態勢だ。
どうやら、今日もあの魔法の言葉を使う必要があるらしい。
「喧嘩をやめないと、2人とも嫌いになっちゃうよ」
瞬間、場の空気が凍てついた。
「ルヴィン様がおらを嫌いになるなんて。そ、それだけはご勘弁を」
「ルヴィンくん、嘘だよね。やめる。やめるから、嫌いにならないで」
フィオナは魔法銃を放り投げれば、アリアも固めた拳を解く。
2人とも僕の方に飛び込んでくると、強く抱きしめ許しを請うた。
「大丈夫。本気じゃないから。アリアも泣かないで」
「いがった。ほんにおらのごど嫌いになったのがど思っただっちゃ」
「うん。もう泣かない。でもアリアのことを嫌いにならないで欲しい」
「じゃあ、これで仲直り。2度と喧嘩しないって誓って」
「「それは無理です……」」
そこまで声が揃っているのに、なんで仲直りできないんだよ!
◆◇◆◇◆
「初めまして、女王陛下。アルフォンス・ド・クレイヴと申します」
クレイヴ伯爵家がエストリア王国王宮へとやって来た。
こうやって外から人族の貴族を招くのは、珍しくない。でもこれまでエストリア王国が招いてきたのは、いわゆる領地を持たない都市貴族だ。彼らの多くは貴族という名誉を持っているだけで、権力もお金も持っていないことが多い。
だから口を開けば「お金を預けてくれれば、何倍にも返すとか」「今、○○金貨が熱い」とか言って、金を借りようとする。返すならまだいいけれど、だいたいの場合逃げられるのがオチだ。
でも、クレイヴ伯爵家は違う。
同じ都市貴族だけれど、大陸に強力な流通網を持つ大貴族……。
皇帝陛下を除けば、エストリア王国が建国して以来の国賓だった。
表敬訪問という話だけど、一体なんの用なのだろう。
「遠路はるばるよう来られた、アルフォンス閣下。どうかゆるりとされよ」
「そうしたいのは山々なのですが、次に急ぎの用件がありまして。挨拶をした後、すぐお暇を…………痛っ!」
崩れ去るアルフォンス閣下の影から1人の少女が進み出る。
年の頃は僕と同じぐらいだろうか。
背中まで伸びた綺麗な金髪に、真珠のような真っ白な肌。
青と白の2色を使ったドレスは爽やかで、青い瞳ともあっていて、よく似合っている。頭の後ろで結んだリボンは大きく、獣人の耳みたいで可愛かった。
「是非、美しいエストリアを見学させてください」
「失礼だけど、君は?」
「申し遅れました、女王陛下。アルフォンスの娘エリザと申します。お目にかかれて光栄です」
エリザはスカートを摘まみ、王宮式の挨拶をする。
すると、矢継ぎ早に話を始めた。
「エストリア産の魔草によって、我が母メリーナは九死に一生を得ました。これも陛下と、国民の方々のおかげです。ありがとうございました」
「我が母……? 閣下の奥方が病気だったのですか?」
何でも冬の最中、クレイヴ家の奥方は熱病にかかってしまった。
時季は冬。今年は病に対応する魔草が不作だったこともあって、方々を当たったようだけど適切な薬が見つからなかったらしい。そこで耳にしたが、一部地域だけに出回っていたエストリア産の魔草だ。藁にも縋る思いで試してみたところ、みるみる病状が回復したという。
「そのことで是非父が礼を申したいと、こうして馳せ参じた次第です」
私は別に……、とアルフォンス閣下が横で呟く。すると例の喚き声を上げた。
「父もこうやって飛び上がって喜んでおりまして」
「そうでしたか。良ければ、魔草が生えている森を見ていかれますか?」
「是非! よろしくお願いしますわ」
エリザは目を輝かせる。
「閣下の相手は、ボクがしよう。エリザさんの相手は……」
「それならあちらの方にお願いできないでしょうか?」
エリザは僕の前に来て、夏の太陽のような笑顔を向けて、手を取った。
それを見て、突然アリアが悲鳴を上げる。君主然とした表情は消え失せ、威嚇する猫みたいに目を細めて、エリザを睨んだ。
「ダメ……。なんかダメ……!」
「年格好も近いようですし。お話がしやすいかと思ったのですが」
エリザは僕の方を見る。
若干潤んだ青い瞳を見て、僕はうっと喉を詰まらせた。
「い、いいんじゃないかな、アリア。僕なら魔草も、畜産の説明できるし」
「ちくさん?」
「えっと……。森に豚を放牧していまして」
「豚? 森に豚さんがいますの?」
「見ます?」
「見ます! 是非!!」
エリザは僕の手を強く握る。痛いぐらいにだ。
「改めましてエリザ・ド・クレイヴと申します。お名前をうかがっても?」
「ルヴィン……とお呼びください」
「よろしくお願いしますね、ルヴィン」
これが僕と、クライブ家エリザとの最初の出会いだった。
◆◇◆◇◆
「まあ、かわいい!!」
エリザは悲鳴を上げながら、自分の足元に纏わり付いてきた子豚を見つめる。好奇心旺盛な伯爵令嬢だ。自ら持ち上げ、子豚を抱きかかえる。セリディアの王宮で出会った令嬢は、豚を見るたびに「おぞましい」といって、顔をしかめたり、逃げたりするばかりだった。実際、アルフォンス閣下は苦手らしく、鼻を摘まみながら少し遠くの方から見学している。なのにエリザは顔に鼻を押し付けられても、頬を舐められても声を上げて喜んでいた。
「豚が好きなのですか?」
「好きですよ。こうして戯れるのも、おいしく食べるのも」
「それは良かった」
「でも、黒い豚なんて初めて見ました」
エストリア王国で今買っている豚のほとんどが、黒い毛並みをしている。
買った当初は、ピンクや白っぽい色をしていたけど、ここで生活するうち次第に黒く変化していったのだ。
これには秘密がある。
「魔素?」
「エストリアの森に生える野草や木の実には、通常より多くの魔素が含まれているんです。そのことが原因で豚の体色も変わったんだと思います」
説明すると、エリザはふむふむと頷く。
その横でアルフォンス閣下は鼻を摘まみながら、毒づいていた。
「黒の豚などおぞましい……痛っ!!」
「何か仰りましたか、お父様」
「エリザ! いちいち父の尻をつねるな」
随分と仲の良い親子だな。ちょっと羨ましいぐらいだ。
ただこの親子と話していると、大貴族クレイヴ家の印象が薄くなっていくけど……。
「魔素を体内に取り込むと、魔獣となるのでは?」
「仰る通りです。だから量を調整しながら飼料を与えています」
「大変そうですね」
「デメリットもある一方、メリットもあります。エリザ様は雄豚がどれぐらいでお肉として出荷可能な大きさになるか知っていますか?」
「確か……6~7カ月と……」
「よくご存知ですね。でも、ここの豚は2カ月半で出荷可能なんです」
「2カ月半!」
これは嬉しい誤算だった。
豚の成長が早くなったおかげで、冬になる前に生まれた子豚の一部も精肉できてしまった。結局、用意していた干し肉が余ってしまい、どうやって消費しようか困ったぐらいだ。
「ちなみに雌豚が繁殖可能になるのは、3カ月ぐらいになります」
「それでも早い。それって、やはりここの森の……」
「野生動物は大量の魔素を取り込んだ時に、魔獣になります。魔素を含まれた食べ物を食べれば、早く大きくなるのは必然と言えるでしょうね」
「魔素を適切に取り込んだ豚……。味が気になりますね」
「そう仰ると思ってました。ご用意しております。召し上がりますか?」
「是非! お父様、行きましょう!」
エリザはアルフォンス閣下の腕を取りながら、同意を求めたけど、その態度は冷たいものだった。
「エリザ、そろそろお暇するのだ」
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