第28話 最強魔法剣士、迫る小さな脅威に対処する(1)
夜明け前の空は、薄紫の空気をわずかに帯びていた。街の城壁に立つと、その色合いが余計に際立つように見える。先日の深淵熊騒ぎを経て、グラドールの雰囲気は大きく様変わりしていた。あちこちに兵士が立哨し、冒険者が交代制で巡回している。まるで戦時下の要塞みたいに物々しいが、これも仕方ないだろう。
俺は城壁の石段を昇っていき、風にそっと髪を揺らしながら外の景色を見下ろす。まだ薄暗い朝の光――うっすらとした紺色の空に、かすかに金の縁が射し始めている。視界の先には荒野が広がり、その奥にはまだ闇が残る木立が続いていた。
「おはようございます、リュオさん」
ふいに横から声がかかる。リーシャだ。狼耳をぴんと立て、眠たげな目をなんとか見開いている様子。近頃、彼女もずいぶん早起きになったものだ。
「よう、もう来てたのか」
「はい、私も今日は早めに……この城壁の見張りに入ろうと思って」
「そりゃ良い心構えだ。あのトカゲとやらが、いつどこに現れるかわからないし」
そう言いながら城壁の上から外を眺めると、兵士たちが数人、槍や弓矢を抱えて配置についている姿が見える。みんな、昨夜のうちに戦闘の想定を聞かされていたようで、あんまり眠れなかっただろう。表情はみな険しい。
「リュオさんは、全然眠そうじゃないですね……。もう慣れちゃったんですか?」
リーシャが呆れ気味に聞いてくるので、俺は肩をすくめる。
「そうだな。モンスターとやり合うのも、別に今に始まったことじゃない。むしろ久々に新鮮でいいんじゃないか?」
「も、もう……。ほんと怖いもの知らずですね」
彼女が軽く拗ねたように言いかけたときだった。遠くの見張り台のほうから、ふいに光のフラッシュが上がった。夜明けの薄暗さを払うように、白い光が一瞬ぱっと光る。光魔法によるシグナル――小隊が何かを発見した合図だ。
「あっ、合図だ……! 何か来たんですね!」
リーシャが息を呑む。その声を耳に、兵士の一人が「おい、合図だぞ! 準備しろ!」と吼え、周りの連中がざわざわし始める。俺は目を細めながら、森の辺りを凝視する。
(さて、トカゲってやつが本格的に動き出したのかね)
「リュオさん! 助けに行くって……どうします?」
「ああ、行こう。早速ひと暴れといくか」
「や、やる気満々ですね……でも……」
リーシャは戸惑いつつも、俺に続いて城壁を降りようとする。
俺は城壁の縁に軽く手をかけると、ひょいと身を翻して飛び降りた。
足元に着地すると、砂煙がわずかに巻き上がる。後ろから「リュオさん、無茶はやめてくださいよ!」とリーシャが声を上げたが、すぐに彼女も階段を駆け下りてくる姿が見えた。
「さてと、被害が拡大する前にさっさと倒そう」
「兵士さんたちがすでに下で構えてるみたいですから、連携したほうが……」
「そうだな……リーシャは援護メインで頼む」
そんな会話をしつつ、俺たちは森へ続く街道を少し進む。見張り台から光魔法の合図を出したらしい兵士が三人ほど集まっていた。みんな矢を番え、深刻そうな顔だ。森の影からゴソッ、ゴソッ、と小さな足音が聞こえる。薄暗がりの向こうで、何かが動いているのだろう。
「リュオさん……あれ!」
リーシャが声を潜めて指し示す。森の樹間から姿を現したのは、二、三匹の小さなトカゲ――全長1メートルほどか。だが、真っ当な生物って感じじゃない。黒紫の粘液じみた体が、朝日を受けてぬらりと光っている。まるでスライムと爬虫類を足したような不気味さがある。
「あれが例のトカゲか……!」
先にいた兵士が弓を番え、一斉に放つ。矢がヒュンと飛んで、的確にトカゲの胴を貫いた――と思ったが、それが当たった先で“ぐにゃり”と動き、矢が体内に呑み込まれるように消えてしまう。しかも穴があいた部分がみるみる再生していくのが目に見える。
「ほう……これは厄介だな」
俺は感心しながら首をかしげる。ミスリル製の矢でも、効かないかもしれん。本当にスライムか何かの異形だ。ここまでどろどろしてるとなると、斬撃も効果薄そうだが、とりあえず確かめてみるか。
「行くぞ、リーシャ」
「は、はい……やるしかないですね!」
リーシャはやや気後れしながらも、覚悟を決めた目をしている。兵士たちが「危ないぞ、お前ら!」と止めようとするのを尻目に、俺は体を低くして一気にトカゲへ踏み込む。
剣を抜き、素早い斬撃を繰り出すと――スパッという音とともに、トカゲの胴体を寸断してみせた。ところが、そこから切り離された半身が粘液を泡立てるようにして再結合を始める
「やっぱり斬っても再生しちゃうんですね……!」
「ああ、随分と面倒な生態だ。だが焼けば――どうなるかな!」
兵士が思わず「おい、あんた! 何をする気だ!」と声を上げるが、それを無視して剣を構える。火の魔力を剣に付与するべく、短い詠唱を頭でイメージし、掌に赤い熱量を集める。次の瞬間、刃先がメラメラと橙色に輝き、軽く空を焼くような感覚が走った。
「悪いが、消えてもらう――!」
トカゲの再合体している個体めがけて一直線に踏み込み、火の剣で横薙ぎに斬り払う。ボッという燃焼音が響き、体液が焼けるような異臭が鼻をつく。ぐちゃり、と粘液が散り、火が舌を出して舐め尽くすかのようにトカゲを炭化させていく。まるでスライム状のものがパチパチと音を立てて弾けるみたいだ。
「うわっ、すごい焼け方……」
リーシャが鼻を押さえて少し後ろに下がる。俺もそれなりに嫌な匂いを感じるが、背に腹は代えられない。すでに他のトカゲ二匹がジリジリと近づいてきていたので、兵士たちが弓を番え直す。
「弓を放っても……って感じだな。とりあえず火か水か、そういった魔法で対処しかなさそうだ」
「じゃあ私、やってみます!」
リーシャが意を決した顔で言う。
ざっと水の塊を発生させ、生まれた水流を高速でトカゲにぶつけると、その粘液じみた体表が一瞬の打撃で揺らいだ。
「ギュ、ギュルルッ……」
不気味な音を立てながらトカゲがバランスを崩す隙に、俺が火の剣を再び振るい、一気に焼く。うまく連携が決まって、あっという間にトカゲ二匹が燃え尽きていく。
「やった……! 意外といけましたね……!」
「こいつらが何匹いるか知らんが、こういうやり方で潰せば問題ないだろう」
その場にいた兵士が大きくため息をつき、「助かった……」と安堵を口にする。今回はわずか数体だけだったし、よほど本気の襲撃じゃないらしい。
「まだ、偵察って感じだな」
俺はそれだけ言って、焼き付けたトカゲの残骸を見下ろす。燃えかすが黒い塊を作っているが、一見はもう再生はしなさそうだ。魔力の流れも感じられないしな。
「よし、とりあえずここは一安心だな。兵士さん、あとは見張りを続けてくれ。いつ大群が来るかわからんしな」
「は、はいっ! ありがとうございます……助かりました!」
彼らは深く頭を下げる。リーシャも「い、いえ、こちらこそ……」と慌てた様子で愛想笑いを浮かべる。さっきまで緊張しきっていたが、さすがに小規模なら何とか対処できることがわかったんだろう。少し表情が和らいだみたいだ。
(しかし、こいつらがもっと大量に押し寄せてきたら、流石にまずいな)
そんな考えが頭をよぎる。深淵熊のときは一体だけだったからこそ対応できたけど、もしトカゲが何十匹、何百匹と来たら、兵士が数で負けてしまう可能性だってある。そうならない様に俺が頑張らなくては――
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