第10.5話 エマ回想ー夢と現と思い出とー

ラジェールの膝の上で、私はそっと目を閉じた。


夜の静けさと、焚き火のぱちり、ぱちりという音だけが、耳に残る。


肌に触れる風は冷たくて。

でも、撫でるように動く手の温かさが、それを和らげてくれる。


 


――あぁ、こういうの、いつぶりだろう。


 


膝枕なんて、親父殿以来だ。


……あの人のことを、思い出す。


 


 


親父殿は、親らしいことなんて――してくれなかった。


ずっとそう思ってた。

いや、思うようにしてた。そうやって距離を保ってた。


 


でも、嘘だった。


私、ずっとウソをついてたんだ。


 


親父殿は、いつだって私のことを気にかけてくれてた。


嫌いな野菜は、バレないように細かく刻んでスープにしてくれて。

熱を出した日は、一晩中寝ずに看病してくれた。


スープの味付けは、たいてい濃すぎるか薄すぎるかで、

看病の翌朝には、決まって親父殿の方が寝込んでたけど――


それでも。


 


「お前は、一人で生きていけるようになれ」


 


あの人は、いつもそう言ってた。


盗賊としての技術、知恵、逃げ道、隠れ方、地図の読み方。

ひとつひとつ、丁寧に叩き込んでくれた。


 


でも、たぶん――

あれは“盗賊になるため”じゃなくて、“生き延びるため”だったんだと思う。


 


ちょっとズレてたけど、そういう人だった。


 


 


「俺が殺したんだ」


 


あの夜、酒に酔った親父殿は泣いてた。

涙と鼻水でぐしゃぐしゃになって。


 


「崖崩れに遭った馬車の中で、お前を見つけた」

「まだ息のあった父親と母親が、お前の名を教えてくれて、頼まれたんだ」

「でも、俺は……助けられなかった」

「だから、殺したのと同じだ。俺が殺したんだ」


 


そう言って、何度も何度も、私に頭を下げた。


その姿があまりにも情けなくて、滑稽で、

でも……どうしようもなく悲しくて。


 


私は、その言葉を信じることにした。


親父殿が私の両親を殺した。


 


それが――親父殿の“救い”になるなら、それでいいって。


 


 


親父殿の仲間たち――子分たちも、皆あたたかかった。


私のことを「お嬢」って呼びながらも、特別扱いなんて一度もなかった。


泥だらけの靴で小屋に入ったら、怒鳴られるし。

洗濯物を手伝えば、ちゃんと褒めてくれる。


私を、“家族”として扱ってくれてた。


 


……あの平和な日々が、ずっと続くと思ってた。


 


 


でも、あの日。


あの月のない夜――


 


貴族の私兵たちが、私たちのアジトを襲ってきた。


 


私たちは盗賊だった。


けれど、人を襲う盗賊じゃない。


山道の案内、旅人の護衛、道を諦めさせる交渉役――

“命を守る仕事”だった。


 


儲けすぎた。それが貴族の癪に障った。


それだけの理由で。


 


あっという間だった。


 


闇の中、炎と悲鳴と剣の音。


皆が、私を逃がすために――笑って、背中を押してくれた。


 


親父殿の最後の言葉は、今でも覚えてる。


「お前は、一人で生きろ。いいか、絶対に、戻ってくるな」


 


闇の中、彼の背中が炎に包まれて消えていった。


 


それ以来――私は、“夜”が嫌いになった。


闇は、全部を奪っていくから。


 


 


でも、どうしてだろう。


ラジェールの膝枕は――親父殿を思い出させた。


全然似てない。

むしろ、イラッとするくらい違う。


 


でも……この撫でる手のリズムは、ちょっとだけ――安心する。


焚き火の匂いと、揺れる光と、微かに香るお茶の気配。


 


この感覚を、「懐かしい」と思う自分がいるのが、悔しい。


 


……たぶん、さっき飲んだお茶のせいだ。

そういうことに、しておこう。


 


 


いつもなら、親父殿を思い出した夜は、悪い夢を見る。


血に染まったアジト。

炎に照らされた、泣きながら笑う仲間たち。

私を逃がす、最後の背中。


 


目が覚めると、胸が苦しくて、涙が止まらなくなる。


 


でも――


 


今夜は、違った。


 


 


夢の中で、親父殿は笑ってた。


あの、ぐしゃぐしゃな笑顔じゃなくて。

焚き火のそばで、静かに、優しく笑ってた。


昔、私が風邪を引いた夜。

枕元で、眠そうにしてたあの顔だった。


 


そして、何も言わずに、私の頭を撫でてくれた。


 


その手の温かさが――

今、ここにある手と、重なった。


 


 


ありがとう、親父殿。


 


ありがとう、ラジェール。


 


 


夜が、全部を奪っていくわけじゃないのかもしれない。


 


ほんの少しだけ、そう思えた夜だった。


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