第26話
色素の薄い柔らかそうな長い髪が頬にかかり、その人の顔を隠している。しかしその姿には見覚えがあった。
「あ、これっ……お、落としましたよ」
スーツを掴む手を離し、差し出されたのは俺のボールペンだった。
カバンの外ポケットに、すぐに取り出せるようにと刺していたボールペンだ。どうやらさっきの一件で、気づかずに俺も落とし物をしていたらしい。
「あぁ、ありがとうございます。助かりました」
そう言いながらボールペンを受けとると、その女性が顔をあげる。
ようやく見えた彼女の顔は、やはりさっき荷物を拾っていた人だった。
「いいえ、落とされたのが見えたので間に合ってよかったです」
さっきまで息を切らせていたのに、まるでなんでもないことのようにふわりと笑った表情を思わず見つめてしまう。
大きな瞳を細めて無邪気な顔で安堵したように微笑んでいる。そんな彼女の顔に、髪が少しかかっているのを見て、なせだか無意識のうちに手を伸ばしていた。
気になったのは確かだ。
髪が一束頬の横をすべり落ちるのが、くすぐったくないのかと気にはなった。
だからと言って、それに手を出す自分の行動は全くもって意味不明だ。
強いて言うなら、……ただ触りたかっただけだと思う。
スッと彼女の頬まで伸ばした指で、軽く髪を掬って横に避ける。
自分の突飛な行動と触れた髪のあまりの柔らかさに驚いていると、当然だけど俺より驚いている人物が。
「ふあっ!……え、え?」
変な声を出して目をパチパチとさせ、状況を飲み込もうとしている彼女に少しやり過ぎたと反省する。
「あー……。その、糸がついてたので、つい。突然手を伸ばしてしまい、申し訳ありません」
苦しい言い訳に、相手を直視できずに視線を逸らす。
「あ、そうだったんですか!こちらこそ、ありがとうございました!」
こっちの気まずさを吹き飛ばすくらいに明るくお礼を言われてしまった。
そしてすぐに腰を折って頭を下げた彼女は「じゃあ私はこれで」と笑顔のままにくるっと身体を反転させて、俺とは反対の出口方向へと歩いて行った。
わざわざこっちまで走って来たのか。
西口に消えてく彼女の後ろ姿を見ながらそんなことを思ったのを覚えている。
◇◇◇
触り心地の良い滑らかな髪に指を通しながら、膝に乗る小さな頭を見下ろす。
当時はこれに触りたい衝動にまけて、苦しい言い訳をしてまで初対面の人の髪に触ってしまったな。
たった三ヶ月の間に大きく変わった現状に、あの時を少し懐かしく思う。
起きない程度に柔らかい髪を触りながら、今はなんの躊躇もなく触れていることに満足感や充足感というのを覚える。
そんな自分に笑ってしまう。
人は変わるものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます