第10話 最初の戦果と新たな噂
ボルガロスが「血染めの戦斧」を手に飛び出していってから数日が過ぎた。
ノアはいつものように工房で自らの研究に没頭していた。
新たな呪いの理論を構築したり既存の呪具の改良案を練ったりと彼の探求心には際限がない。
時折、工房の壊れた扉から吹き込む風がボルガロスのことを思い出させはしたが、特に気にするそぶりも見せなかった。
(……あのミノタウロスが斧に喰われていなければいいがな)
そんなことをぼんやりと考える程度だった。
その日の午後。
ドッタンバッタン!! という、以前にも増してけたたましい物音と共に、工房の仮止めされた木の板がまたしても蹴破られるようにして吹き飛んだ。
「ノアァァァァ! やったぞォォォ!!」
現れたのは案の定ボルガロスだった。
しかし、その姿は常とは異なっていた。
全身の赤銅色の毛皮はところどころ焼け焦げ、あるいは裂け、おびただしい数の切り傷や打撲痕が見える。
片方の角は先端が少し欠けており、満身創痍という言葉がこれ以上なく似合う有様だ。
だが、その表情は苦痛ではなく疲労困憊ではあるものの獰猛なまでの達成感と、純粋な喜びに満ち溢れていた。
「……静かに入ってこられないのか、お前は」
ノアは研究資料から顔を上げ、ボルガロスの惨状を一瞥してため息をついた。
「その様子だと、グリフォンとやらは仕留められたようだな」
「おうよ!!」
ボルガロスは、肩に担いだ「血染めの戦斧」をドカッと床に置きながら、工房中に響き渡る大声で答えた。
戦斧の刃はおびただしい量の黒ずんだ血糊でベットリと汚れ、以前にも増して禍々しいオーラを放っている。
「いやぁ、強かったぜあのトカゲ鳥! 素早さと再生力で何度もヒヤリとさせられたが……この斧の前ではただのデカい的だったぜ!」
ガハハハ! とボルガロスは喉を鳴らして笑う。
その声には純粋な戦士の誇りが滲んでいた。
「そうか」
ノアは淡々と相槌を打ち、床に置かれた戦斧に近づいた。
「……斧の切れ味は期待通りだったか?」
「期待通りどころじゃねぇ!」
ボルガロスは興奮気味に語り始める。
「最初はな、いつもみてぇに力任せに殴りつけたんだが、すぐに再生しやがる。だがこの斧で斬りつけた途端だ! 奴の硬い鱗も、分厚い筋肉も、まるで熟れた果物みてぇにスパスパ斬れる! 再生するそばから斬り刻んでやったぜ!」
ボルガロスは、まるでその場で戦っているかのように巨大な腕を振り回す。
「ただ……」
急にボルガロスの声のトーンが落ちる。
「コイツの『代償』も噂通り……いや、それ以上だったな」
彼は苦笑いを浮かべ、自身の体についた無数の傷を見下ろした。
「振るうたびに全身から力が抜け出ていくみてぇな強烈な疲労感。それに何て言うか……頭の芯がカッカしてきて、目の前が真っ赤になるような……もっと斬りてぇ、もっと血が見てぇって、そんな感じになっちまうんだ」
ボルガロスは戦斧から目を逸らし、どこか遠い目をする。
「何度か我を忘れそうになったぜ。正直、グリフォンを倒した後どうやってここまで戻ってきたのかあんまり覚えてねぇ」
ノアは黙ってボルガロスの言葉を聞きながら汚れた戦斧を手に取り、その状態を検分し始めた。
刃こぼれ一つない。
ただ、おびただしい血と、それによってさらに増した呪いの気配がまとわりついている。
彼は慣れた手つきで特殊な油を染み込ませた布で血糊を拭い、呪印の状態を確かめていく。
「……使いこなせるかはお前次第だ、ボルガロス」
メンテナンスを終えた戦斧をボルガロスに返しながら、ノアは静かに言った。
「その力に溺れるか、それとも主として御し続けるか。斧も、呪いも、持ち主を選ぶ」
ボルガロスはノアの言葉を黙って聞いていた。そして綺麗になった戦斧を受け取ると、ズシリとその重みを改めて感じる。
「……ああ、分かってる。だが、おかげで俺はまた一つ強くなれた。礼を言うぜノア」
その言葉は、いつもの彼らしからぬ素直な響きを持っていた。
ボルガロスが今度は扉の残骸を跨いでややおとなしく帰っていった後。
「……さて、次の客は、いつ来るかな」
ノアは一人工房で呟いた。
*****
その数日後。
魔王領のとある酒場や武具を扱う闇市場のような場所で新たな噂が囁かれ始めていた。
「聞いたか? 四天王のボルガロス様が最近とんでもねぇ戦斧を手に入れたらしいぜ」
「ああ、知ってる。なんでもあの再生能力が自慢の『風切りグリフォン』をズタズタのミンチにしちまったとか」
「マジかよ!? あのボルガロス様が今まで苦戦してた相手だろ?」
「その戦斧、辺境にいるヤバい呪物師が作った代物らしい。腕は確かだが……関わると魂まで持っていかれるとか持っていかれないとか……」
「へぇ……辺境の呪物師ねぇ……」
ノア・アッシュフィールド。
元・宮廷錬金術師。
その名は、彼が望むと望まざるとに関わらず、人間界とは異なる場所で新たな伝説の序章として静かに、しかし確実に広まり始めていた。
そしてその噂は、新たな訪問者を呼び寄せることになるのだった。
第1章 豪腕ミノタウロスの無理難題 ~完~
※明日からは第二章開始です。
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