第12話 サキュバスの依頼
「……ボルガロス以上の礼、か」
ノアはセレネの挑発的な申し出に、鼻で笑うでもなくただ冷めた視線を返した。
「生憎だが俺は依頼内容で仕事を受けるかどうか決める。報酬の額で決めるなら今頃は宮廷でのうのうと暮らしていたさ」
その言葉はセレネの誘惑をあっさりと切り捨てる鋭い刃のようだった。
「あら手厳しいですのね」
セレネはしかし少しも動揺した様子を見せず、むしろ面白そうに口角を上げた。
「気に入りましたわ、あなたのような方。単刀直入でよろしい。ではわたくしの望みを申し上げます」
彼女の紫の瞳がスッと細められる。
工房の空気がわずかに緊張を増した。
「わたくしが欲しいのは、ボルガロス様が手に入れたような物理的な破壊力ではございません」
セレネは人差し指を自身の唇にそっと当て、囁くように言った。
「欲しいのは……『情報』。それも人が心の奥底に隠している、決して表には出さないような秘密を白日の下に晒す力ですわ」
「……秘密を暴く力、ね」
ノアの灰色の瞳に初めて明確な興味の色が宿った。
それはボルガロスの依頼とは全く質の異なる複雑で、そして悪趣味な依頼だ。
「具体的には?」
「わたくし、立場上様々な方とお会いしてお話を伺う機会が多いのですけれど……」
セレネはうっとりと目を伏せる。
「言葉というものは実に不便ですわね。嘘で塗り固められ、本心は厚い壁の向こう側。その壁を無理やりこじ開けるのではなく……まるで絹を裂くように静かに、そして確実に切り裂く道具が欲しいのです」
その依頼内容は彼女が魔王軍の「参謀」という立場であることを如実に示していた。
諜報活動、あるいは権力闘争。
彼女が戦う場所は血肉の飛び散る戦場ではなく、嘘と秘密が渦巻く心理戦の場なのだ。
ノアは黙って聞いていたが、その頭の中ではすでにいくつかの呪いの術式が構築され始めていた。
(……精神干渉系の呪い。対象の深層心理にアクセスし情報を抜き出す……。だがそれだけではリスクが高すぎる。術者への反動も大きいし、何より力任せすぎて美しくない)
「……面白い依頼だ」
やがてノアはポツリと呟いた。
「いいだろう。あんたの望みを叶える呪具、一つ心当たりがある」
ノアはセレネに向き直る。
「例えば……『囁きの耳飾り』というのはどうだ?」
「囁きの耳飾り?」
セレネは蠱惑的に首を傾げた。
「ああ。それを身につければ、あんたが会話する相手の心の声……その者が隠そうとしている秘密の断片が、囁きとなって聞こえてくるようになる」
ノアの説明にセレネの瞳が妖しく輝いた。
それはまさに彼女が求めていた力そのものだ。
「ただし」
ノアは釘を刺すように続けた。
「俺の作るものには必ず相応の『代償』が伴う。この呪具の代償はこうだ――『他人の秘密を聞く者は、自らの秘密も差し出さねばならない』」
「……なんですって?」
「その耳飾りは、あんた自身の心の壁も薄くする。装備している間、あんたもまた無意識のうちに自分の本音や秘密の欠片を言葉の端々から漏らしてしまうことになるだろう。漏れる量は僅かかもしれないが、聞き耳を立てる聡い相手の前では致命的な隙になり得る」
ノアは淡々と、しかし残酷な事実を告げる。
「秘密を盗む者は秘密を盗まれるリスクを背負う。等価交換だ。そうでなくては呪いが安定しない」
セレネはノアの言葉にしばし黙り込んだ。
彼女の顔から先ほどまでの余裕のある笑みが消えている。
だが、やがてその唇は再び三日月のような弧を描いた。
それは恐怖や躊躇ではなく歓喜と興奮に満ちた笑みだった。
「……素晴らしい。なんて刺激的で公平な呪いなのでしょう」
ノアは彼女の反応に少しだけ眉を動かした。
このサキュバスは、依頼内容の危険性も呪いの代償のえげつなさも全て理解した上でそれを楽しんですらいる。
その底知れなさにノアは改めて警戒を強めた。
(ボルガロスとは違う。こいつは呪いを使いこなすのではなく、呪いと踊ることを望んでいるタイプだ……)
「面白い」
ノアの口元にも挑戦的な笑みが浮かぶ。
「だが、言っておくぞセレネ。その呪いはあんたが思っている以上にあんた自身の心にも影響を及ぼす可能性がある。いつか自分でも気づかぬうちに空っぽになっているかもしれないからな」
その警告はノアなりの最後通牒だった。
それでもこの依頼を受けるというのなら、こちらも全力で応えよう、と。
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