第14話 語られる過去の断片(ノアの独白2)

 シン……。


 セレネの問いを最後に、工房の空気は完全に凍り付いた。

 ノアの顔から人間らしい感情がすっかり抜け落ち、まるで精巧な人形のように無表情になる。

 灰色の瞳が底なし沼のように深く、そして冷たくなっていた。


「……余計な詮索だ」


 長い沈黙の末、ノアの口から絞り出されたのはそれだけの言葉だった。

 その声は冬の寒気のように冷え切っている。


「あらごめんなさい。少し踏み込みすぎましたかしら?」


 セレネはノアの豹変ぶりに内心驚きつつも、表情には一切出さずに優雅に微笑んだ。

 彼女は自分が地雷を踏み抜いたことを正確に理解していた。

 そしてこれ以上追及するのは得策ではないと瞬時に判断する。


「よろしいですわ。今日のところはこれでおいとまいたします。例の耳飾り、楽しみにしておりますわね」


 彼女は目的――ノアという人間の輪郭に触れること――は十分に果たした。

 あとは彼が作る「作品」がその腕前を証明してくれるのを待つだけだ。

 セレネは流れるような動作で一礼すると、音もなく工房を去っていった。

 甘い香りの余韻だけを残して。


 一人残された工房に再び重い静寂が訪れる。

 ノアはセレネが去った扉をしばらく睨みつけていたが、やがて、ふらりと力なく近くの椅子に腰を下ろした。


(……なぜこんな場所にいるのか、か)


 セレネの言葉が脳内で何度も反響する。

 それは彼自身が時折自問自答することでもある。

 そして、その答えはいつも忌まわしい過去の記憶へと繋がっていた。


 ―――思い出すのは、王宮の錬金術工房の光景だ。


 白く磨き上げられた大理石の床。天井から吊るされた豪奢なシャンデリア。

 常に清浄な空気が保たれ、塵一つない研究室。

 そこはノアの今の工房とは何もかもが正反対の、完璧に管理された空間だった。

 だが彼にとって、そこは檻でしかなかった。


『おいノア。またそんな気味の悪い研究をしているのか?』


 才能を妬む同僚たちの嘲るような声。


『彼の研究はどうも「祝福」や「聖性」といった、我々が目指すべき方向とは違うようだね』


 表面上は穏やかに、しかしその実ノアの異端性を上司に告げ口する先輩術師。


 そして事なかれ主義で無能な工房長。


『ノア君。君の才能は認める。だが民に与えるべきは希望の光だ。呪いなどという闇の研究は王宮には不要なのだよ』


(……違う)


 ノアはきつく目をつぶる。


(奴らは結局、力の『表層』しか見ていなかった……!)


 祝福も、呪いも、根源は同じ一つの力。

 正の側面と負の側面。光と影。

 その両方を理解し、制御してこそ真の錬金術だ。


 だがあの場所にいた誰もが耳障りの良い「祝福」や「聖性」という言葉に酔いしれ、力の持つもう半分の側面――「呪い」という本質から目を逸らし続けていた。

 彼にとって、それは真理の探究を放棄する許しがたい怠慢だった。


 だから彼は孤立した。

 周囲の無理解と嫉妬の渦の中で、ただ一人自らの信じる道を突き進んだ。

 その結果が――追放だった。


 ノアはゆっくりと目を開けた。

 椅子から立ち上がり、作業台へと向かう。

 セレネの依頼品――『囁きの耳飾り』に取り掛かるためだ。

 その灰色の瞳には先ほどまでの虚無感は消え、代わりに氷のように冷たい怒りの光が静かに、しかし強く宿っていた。


(いいだろう……見せてやる。お前たちが「ゴミ」と呼び、忌み嫌ったこの力の本当の価値を)


 カチャリ、と彼が手に取った銀の素材が冷たく澄んだ音を立てた。

 それはこれから始まる新たな「呪い」の創造を告げる、静かなファンファーレだった。



◆おねがい◆


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