新奴隷商人 アルテミス編(紀元前47年の物語③)

✿モンテ✣クリスト✿

アルテミス編

第1話 奴隷市場1

 紀元前の共和制ローマ時代に降りてから一ヶ月が経過した。徐々にこの時代のことが分かり始めてきたが、一言で表現するならば、


不潔。


である。二千年後の日本から来た私の知識と照らし合わせると、その不潔さは信じられないほどだ。二千年後の日本でも、ローマ時代について書かれた歴史書や小説、マンガが多数あり、それらから得た王政・共和制・帝政ローマの知識を持っている。


 しかし、現実はそれらとはまったく異なっていた。


 キリスト教会の教義では、体の清潔は精神的清浄を意味する一方、裸体で浴槽に浸かることは肉欲に繋がるとして入浴が忌避された暗黒の中世がある。それに対して、上下水道施設が完備され、公衆浴場まであったローマ人は、中世の人々と比べて清潔だったとされる。


 中世では、入浴により皮膚の表面から水の悪い成分が体内に入ると信じられていたため、入浴の習慣が廃れてしまったのだ。それはゲルマン人蛮族の侵入により水道施設や浴場が破壊され、キリスト教の教義が影響したからだと、二千年後の書籍には書かれている。


 このような知識を持つと、中世暗黒時代は不潔、共和制・帝政ローマ時代は清潔と考えてしまうのも無理はない。しかし、現実は、


ローマ時代も中世よりはマシだが、21世紀の日本と比べると極めて不潔、


なのである。


 そして、何より不潔なのが、私が入っているこの体なのだ。


 一ヶ月前、地球の成層圏から純粋知性体アルファに突き落とされた体を持たない知性体の一種である私は、少女の中に降り立った。降り立った、というのが想像しにくいのであれば、思念・思考システムだけの私の圧縮ファイルがアルテミスにダウンロードし解凍され、彼女の脳内に展開したとでも考えれば良い。


 私の思念・思考システムがこの女の子のシナプスに展開されていき、徐々に脳の支配領域を広げていった。この子の記憶がたどれるようになる。名前はアルテミスという。双子の妹がいるようだ。ヴィーナスという名前だ。彼女の17年間の記憶が私に取り込まれる。思念・思考システムがアルテミスの体の五感に接続される。やっと自分がどういう状態かわかった。両手を縛り上げられて大理石の柱に吊るされている。


 すぐ横に妹のヴィーナスがいた。私を心配そうに見ている。肩にかかる金髪。緑の眼。小顔でスラッとした体。映画に出てくるような白人の美少女。双子ならこの子と私は瓜二つなのよね?私の体はこんな感じなんだ。日本人に生まれて二十数年、自分が白人のティーンの女の子になるって、違和感しかない。


 アルテミスの記憶を読むと、彼女と妹は黒海沿岸から海賊に拉致されて、黒海を東から西に横断、ボスポラス海峡を通過し、エーゲ海からここシリアの港町ラタキアまで南下すること三週間、海賊船の中で他の拉致された少女たちと一緒に過ごしたようだ。17歳の少女。


 この時代の海賊船の様子がわかった。そもそも海賊船は、乗務員の衛生環境など配慮しないらしい。真水など積載していない。第一、乗務員は男性が前提。トイレなど海ですませてしまう。そんな海賊船に数十人の少女が三週間拘束されていたのだから、少女たちの体が極めて不潔になることは当たり前である。体力のない少女は次々に死んだ。ひどい話だが、この時代は紀元前のローマなのだ。21世紀ではない。


 成層圏から純粋知性体アルファに突き落とされた時にアルファが私に囁いた。これからお前が行くところは紀元前47年の共和制ローマの時代、地中海のシリア地方、ラタキアという港町の奴隷市場だというのだ。ちょうど私の降り立った少女が奴隷として売られるところだと。


「ちょっと待って!私が乗り移る女の子が奴隷として売られるの?その後、どうなるのよ?冗談じゃないわ!」

「私は冗談を言うようには構成されていない」

「ジョークのセンスがないのはわかるわよ!それで?どうなるの?」

「既に一年前に私のプローブを現地に送ってある。現地の人間に乗り移っている。彼が(彼という呼称で良いのか?お前とはDNAの組成が異なる男性という意味だが・・・)お前の双子の妹と共にお前を買い取る段取りになっている。名前はムラーという奴隷商人で荘園領主だ」

「何を言っているのか理解できないわ。プローブって何なの?」

「・・・プローブとは、言ってみれば月着陸船みたいなものだ。私が母船だ。各惑星の探査をする時に、私の分身のプローブを送り込むのだ。もちろん、実体化するので、現地の生物の知性レベルに合わせないといけないから、私の膨大なデータを送りこめるわけではない。この地球の人類の脳の容量では、せいぜい1ペタバイト、1,000テラバイト程度が上限だ。むろん、データだけでは生存確率が落ちるからいろいろな能力を加味してある。お前も同様だ。ただし、生物に実体化するので、その生物の死でデータは消失してしまう。プローブは実体化した生物の脳から知性体の純粋データを復元する能力はない」

「ちょ、ちょっと待って!私という元人類のデータはこれから乗り移る女の子に何かあったら消えてしまうということなの?」

「その通り。だが、心配することはない。私が戻れば、お前とムラーのデータは私が回収できる。再び、知性体のデータに復元可能だ」

「『私が戻れば』って、どこかに行ってしまうつもりなの?」

「私は忙しい。別の時空に行かなければならない。心配するな。お前とムラーの乗り移る人体が死ぬまでには戻って来る。この時代の人類の平均寿命は35年ということだから、二十年の間には戻る。それまでは、生き残るように努力して欲しい」

「やれやれ。あなた相手に言い合っても仕方ないわ。そのムラーという奴隷商人を待っていればいいのね?」

「その通りだ」


 やれやれ。どう待っているのか、その状態をアルファは説明しなかったが、大理石の柱に宙吊りになって待つとは思ってもいなかった。


 後でムラーが説明してくれたが、私と妹がいる(柱に宙吊りになって)のは、フェニキアの港町の常設の奴隷市場の大広間なのだそうだ。ラタキアは、黒海沿岸や地中海沿岸から買い集められた奴隷の中継地で、ラタキアの住民向けの奴隷だけではなく、ここからエジプトのアレキサンドリアにも売り飛ばされるそうなのだ。だから、ラタキアの奴隷市場はここ周辺では最大規模になるというのだ。


 奴隷市場は、50メートル✕100メートルくらいの長方形の大広間になっていて、数十本の大理石の柱が林立し、柱周りに大理石のベンチの演台が設けられていた。演台の上には、地中海世界の津々浦々から集められた男女の半裸の奴隷がポーズを付けて立っていた。私たちと同じく宙吊りになっている奴隷もいる。暴れたりする奴隷が拘束されるのだろうか?


 その周りを、男女の買い手が集っている。体を触って筋肉を調べる者、陰部に手を這わせる者。奴隷売買をする商人はビジネスライクに奴隷を試しているが、一般人の奴隷の買い手の目的は労働力か夜伽の相手だ。つまり、召使いや家事労働、農園労働目的の奴隷か、性奴隷ということだ。後者の場合の買い手の男女はフェロモンを撒き散らして、男女の奴隷に触れている。


 年のいった漆黒の肌をしたアフリカ人らしい美しいマダムが、半袖で丈が膝上までしかないリネンのチュニックをまとった十代前半と思える男の子の奴隷の股間をまさぐっていた。私たちと同じ金髪で青い眼の白人だ。根本から局部の硬度を試すためにすりあげているようで、その奴隷は羞恥と心地よさに複雑な表情を浮かべていた。

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